今日で事故からもう一年が経った。

一年の中には書ききれないほどの多くの出来事があった。

 

あの頃は仕事も生活も多くの事にチャレンジし始めた時で、

一気に積み上げてきたものが崩れゼロになった。

しかし、悲しむ暇もなく自分の體を元に戻していくことで精一杯の日々を送り続けた。

 

どんな姿であっても生きている。

じゃあ。

 

生きている限りは多くの時間を笑顔で過ごしたい。

 

私はそう思うようになっていた。

 

怪我をしなければ出会うことなかった人たち。

怪我をしなければ見ることのなかった景色。

 

失ったことは多くても数え切れるほどしかない。

でも、得たこと、これから得ることは数え切れないほどある。

 

今まで積み上げてきたこともゼロになっただけでマイナスではない。

また1から違うカタチで積み上げていけばいいのだ。

 


この一年で多くの人たちと出会った。

人と人との繋がりは自分の人生を大きく変えていくものだと実感した。

 

自分が知っていることなんて本当に少ない。

出会いがあるたびに発見がある。

何十億という中の1人でしかないのだ。

 

でも、それはちっぽけという事ではなく、

私がそうであるように、みんなそれぞれが何十億分の1なのだ。

 

自分1人が得れる情報なんて僅かだからこそ、

人と繋がり、1を増やしていく。1の輪を繋げていく

そうすることで多馬力の知恵をつけることが出来るのだ。

 

自分の中では出来ないだろうと思っていたことも

輪が広がり知識を得たことでやれる方法を見つけることが出来る。

 

どうしてそんなに明るいの?

どうして毎日そんなに笑顔なの?

 

私を知っている人たちは口々に言う。

 

それは

未来が明るいからだ。

楽しみなことが多くあるからだ。

車椅子になってもチャレンジ出来ることが多くあるからこそ毎日が楽しいのだ。

 

不安じゃないの?

怖くないの?

 

自分で考える不安は予想、想像でしかない。

実際は大したことじゃないかもしれない。

予想を超えることもあるかもしれないが、それは進んでみないとわからない。

 

本当に人生は一度きりなんだ。

 

同じことを繰り返す日々より、常に進化する日々のほうが私は理想だ。

キッカケが落ちていたら拾うし、キッカケを探しにいく。

今日の自分より明日の自分を好きになっていきたいからだ。

 


車椅子、障害者を弱者だとは思わない。

生活するなかで不自由なこと、出来ないことは多い。

 

なぜそれを弱者と表すのだろうか?

 

車椅子がなければどこにも行けない。ベッドの上から降りることもできない。

這って進んでいかなくてはいけない。

トイレもまともに出来ない。尿も便も漏らす。

漏らしたところで片付けるのもままならない事が多い。

 

人の手を多く借りる。

 

でもそれは助け合いではないだろうか。

助けてもらうことは弱いことではない。

どんな立場でも誰でも助けてもらうことはある。

みんな支え合って過ごしているはずだ。

 

普通なら尿意を感じてトイレに行く、行かなければ我慢する。

それが出来ない人は色んな調整をして、體を知って漏らさないように過ごす。

これってとても凄いことだと思わないだろうか?

使えない部分がありながら、不具合な部分がありながら、

それでもみんなと同じように24時間365日生きている。

 

人としてとても強いとは感じないだろうか?

 

健常者の何倍も頑張って生きている。

もし、悩んでる人が読んでくれているのなら自分は強い人間ということを気付いてほしい。

 

君は強いんだ。

 


27年間付き合ってきた體を経った1年間で慣れることは出来ないし、

まだまだ元に戻すための努力を怠らない。

 

しかし、やりたいことも多くある。

もっとまだ見ぬ自分を見たい。

自分が叶えていきたかった理想の未来を追求していきたい。

 

でも、それは1人では出来ない。多くの人からの助けが必要となるのだ。

 

支えてくれる人たちの為にも

在りたい自分の姿になるためにも

今日からまた新しい出会いをする。

 


何か力になれることがあればご連絡ください。

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カテゴリー: 生活

1件のコメント

ゆい · 2019年7月20日 8:49 PM

貴女の前向きな強さと輝きに、いつも驚かされながらも日々活力をいただいています。
私も頑張らないと…と。
応援しています。頑張ってください。

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